
久留米シティプロモーション実行委員会では、城島酒蔵びらき実行委員会 主催による人気の催し「第32回 城島酒蔵びらき」を、2月14日(土)・15日(日)の2日間、町民の森公園をメイン会場として開催すると発表しました。
参加する蔵元は、旭菊、池亀、鷹正宗、筑紫の誉、比翼鶴、瑞穂錦、杜の蔵、若波。久留米市、久留米南部商工会、久留米南部観光物産振興会が共催します。
毎年10万人を超える人々が訪れ、町全体が熱気に包まれる2日間。
「城島酒蔵びらき」は、いまや九州を代表する酒蔵イベントの1つとして知られています。
今回は、城島町を中心に8つの酒蔵が集結。これまでも参加していた6酒蔵(旭菊、池亀、筑紫の誉、比翼鶴、瑞穂錦、杜の蔵)に加えて、大善寺町の「鷹正宗」、大川市の「若波酒造」が初参加します。
城島の酒文化は、さらなる広がりを見せ始めています。
蔵ごとに異なる水、米、技、そして哲学。ここでしか味わえない銘酒を、心ゆくまで飲み比べることができます。
また新企画として、8蔵すべての酒を一度に味わえる特別セット「城島∞(エイト)」 が登場。
酒蔵見学(一部蔵元を除く)、地域物産の販売、ステージイベントなど、五感すべてで楽しむ2日間です。
「東の灘、西の城島」と呼ばれた酒どころ

城島の酒造りの歴史は、江戸時代にまでさかのぼります。
筑紫平野がもたらす良質な米。耳納連山を源とする、豊かで清らかな水。この恵まれた自然条件のもと、城島では酒造りが脈々と受け継がれてきました。
明治時代以降、その勢いはさらに加速。
城島をはじめとした三潴地区には次々と酒蔵が誕生し、最盛期の明治31年には85蔵が存在していました。
生産量は5万2千石に達し、城島はいつしか「東の灘、西の城島」と称されるまでになります。隆盛を誇る蔵元は、地域の発展にも貢献。港や鉄道、水道といったインフラ整備のほか、銀行の設立や学校の誘致などにも深く関わりました。
酒造りが城島の産業を支え、城島の未来を築いていったのです。
一軒の酒蔵から始まった、小さな挑戦

時は流れ、1990年代。
バブル崩壊後の日本は、長い不況にあえいでいました。そんな中、「この町を元気にしたい」と立ち上がった一軒の酒蔵があります。
それが、かつて山ノ井川沿いに蔵を構えていた「有薫酒造」です。
「有薫酒造」は町内の酒蔵をはじめ、地域の商店に声をかけ、町おこしイベントを企画します。
それが「城島酒蔵びらき」の始まりです。
“1つの蔵で他の蔵の酒も一緒に売る”という取り組みは極めて珍しく、業界紙にも取り上げられましたが、当初のイベント名には「酒蔵びらき」という名前すらありませんでした。
「商工会から少し補助金はあったようですが、ほとんど手弁当だったみたいですね」と、前実行委員長の上野さんが教えてくれました。
そこにあったのは、”自分たちの手で地域を盛り上げる”という、まっすぐな想いだったのです。
人の想いがつないだ、久留米を代表するまつり

その後、回数を重ねるごとに来場者が増えていき、規模が拡大。平成21年開催の第15回には「町民の森公園」へと会場を移します。
さらに、普通電車しか停まらない西鉄三潴駅に、特急電車が臨時停車するという異例の対応も行われました。
その後も勢いは止まらず、平成26年開催の第20回から2日間開催となり、久留米を代表する存在へと成長していきます。
そして令和3年。
新型コロナウイルスの感染拡大により、開催直前まで準備を進めながらも、やむなく中止を決断。
しかし、ここで灯は消えませんでした。
城島酒蔵びらきの開催と存続を願う有志がアイデアを出し合い、コロナ禍でも開催できる方法として、ドライブスルー形式での開催を実現。
このときは、城島酒蔵びらき実行委員会の主催ではありませんでしたが、『城島酒蔵びらき』の名前を使わせてほしいと提案され、同委員会もぜひ使ってほしいと承諾。人と人の想いが、まつりをつなぎました。
酒蔵びらきは、未来へ続く

「日本一の酒蔵びらきにしたいですね。このイベントをきっかけに、地域の魅力を知ってもらい、何度も足を運んでもらいたい」
そう語る江上実行委員長の言葉には、次の時代への覚悟がにじみます。
「運営側も高齢化してますから。続けていくためには、次の世代に引き継いでいくことが重要。また、通年での取り組みなど、新しいアイデアも積極的に採用し、いい意味で変わっていくことが必要だと考えています」
かつて、このまちを育ててきた城島の酒づくり。
そして今、「城島酒蔵びらき」というイベントが、このまちの未来づくりに挑んでいます。
この情報は1月19日(月)時点での内容です。また、記事の内容は予告なく変更される場合があります。