福岡のニュース

九州国立博物館「しきしまの大和へー奈良大発掘ー」開催へ

2020年7月28日(火)~12月20日(日)九州国立博物館 文化交流展示室 第2・3室にて、「しきしまの大和へー奈良大発掘ー」が開催されます。

「しきしまの大和」と万葉集に詠まれた奈良。そこには長らくこの地が日本の中心地であったことを示す、多くの文化遺産があります。

古墳時代には「ヤマト王権」が誕生し、先進の渡来技術の獲得を背景に日本列島の統合を進め、遂に大和は古代国家の首都となります。

その後も飛鳥京・藤原京・平城京の建設と、日本の中心として長く栄えたその歴史は、異文化との交流と受容、変革を経た日本の文化形成と重なります。

奈良県橿原市に所在する橿原考古学研究所は、約80年にわたり奈良県全域の調査を行ってきました。その成果は大和の歴史を紐解くとともに、わが国の国家形成への道程をも明らかにしています。

本特集展示では、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の所蔵品から、特に縄文~中世の出土資料の優品を展示し、外来文化を受け入れながら独自の文化を形成した日本の姿をご紹介します。

奈良・大和の歴史の息づかいを感じるとともに、ムラから都市、国家へと歩んだ足跡をご覧ください。


1 くにづくり前史
縄文時代、人々は狩猟採集の生活の中で、少しずつ定住化への道を歩みだしました。竪穴住居に住み、土器を作り、祭祀を行うなど、小規模な集落で生活していました。そして約2千年前、大陸から稲作という新たな文化が伝わります。農耕によって人々の生活が豊かになり、集落も発展していきました。大和でも高い生産性をもつ大規模な集落が営まれ、新たな交易ルートの拠点となりました。次の時代の王権形成の基盤が築かれていったのです。


2 王権誕生と外来要素
農耕文化が定着して生産力が向上すると、収穫量によって格差が生まれました。格差は集落内での指導者の出現や集落間での争いを誘発し、争いは集落を併合してクニを生み、「ヤマト王権」の誕生へとつながりました。ヤマト王権は、人やものが往来することで各地域の文化を取り込み、それを独自の形に変えて各地に広めていきました。その代表的文化である「前方後円墳」は、ヤマト王権が国内を統一支配した証といえます。


3 国家形成と渡来文化
ヤマト王権は、日本を政治的に支配する一方で、海外の先進的な文化や技術を取り込んでいきました。当時の朝鮮半島は各国の情勢が流動的で、多くの渡来集団が日本へ渡ってきました。彼らが持ち込んだ新技術は、日本のあらゆる生産活動に影響を与え、国内の技術が大きく躍進しました。特に大和では渡来系工人との関わりが強くみられ、最新の文化や技術が、大和をさらに日本の中心へと押し上げました。


4 古代国家成立と外交
飛鳥時代以降、王は「天皇」となり、さらに海外の文化を取りいれて、大和は国家の中心として成長しました。百済から伝わった仏教を受け入れ、中国唐に倣って都を造り、律令を整備して全国を一元的に統治しました。また都では舶来品が使われる一方、これをまねた品も作られ、寺院で仏事を行うとともに神を祀る儀式も行われました。外来文化を取り入れながらも古来の様式も守り、国家としての独自の形を創りあげたといえます。


5 しきしまの大和ごころ
平城の都が京都に移ってからの大和は、興福寺や東大寺などの有力社寺の荘園が展開し、広大な農業地帯の生産力によって繁栄しました。特に興福寺は鎌倉から室町時代に大和で大きな力を持っていました。室町時代中頃以降は、武将による権力争いで戦闘状態になり、徐々に興福寺の支配力は衰えました。またこの時期、多くの寺社が争いの中で焼失・損傷しましたが、後の復興により、奈良―大和のこころを今に伝えています。 詳細は公式ホームページでご確認ください。

▶ 九州国立博物館

この情報は2020年7月15日(水)時点の内容です。最新の情報は公式サイトなどにて確認をお願いします。

URL :
TRACKBACK URL :
Return Top